言語種別 | 日本語 |
発行・発表の年月 | 2009/08 |
形態種別 | 学術雑誌 |
標題 | 京都所司代就任時の勤方心得とその変容
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執筆形態 | 単著 |
掲載誌名 | 日本歴史 |
出版社・発行元 | 日本歴史 |
巻・号・頁 | (735) |
概要 | P.37~47。本稿では、京都所司代の就任時勤方心得の考察を行い、寛文期の京都代官・京都町奉行の設置等にともなって所司代の職掌の分掌化がすすみ、天和・貞享期にはその職掌としての明確化を象徴する就任時心得が出されたことを明らかにし、あわせてその後の勤方心得の変容も考察した。そこでは、寛文・延宝期には将軍家綱より所司代に心得書が下されていたのに対して、綱吉政権には、天和期に老中連名の条目として一通の勤方心得が、貞享期には二通の心得が通達され、所司代の職務が具体的に明文化されるようになったこと、正徳期には一通の勤方心得が出されて所司代宅で公事訴訟の評定を行う事が規定されたこと、享保期には諸大名から経済的支援を得た公家の奢侈を取り締まる条目を加えた二通の勤方心得が出されたこと、享保期の勤方心得において禁中・公家の掌握を基本とした一通と京都市中及び上方支配に関する事項を記す一通の基本的な形が整ったこと、などを明らかにした。 |
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