言語種別 | 日本語 |
発行・発表の年月 | 1996/03 |
形態種別 | 著書 |
標題 | 吸血鬼幻想-イェイツの詩における血のイメージについて
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執筆形態 | 共著 |
掲載誌名 | 『英語・英米文学の風』「片平」三十周年記念論文集 |
巻・号・頁 | 323-341頁 |
概要 | A5判
W.B.Yeats全詩集のなかで、‘vampire’という単語は一度しか使われていない。にもかかわらず、吸血鬼的血のイメージはそこここにみられる。それは古代儀式の死と再生を思わせるものに近い。すなわち、生きている人間が出血し衰弱することで死者の状態にすこしでも近づき、他界の相手に同化しようとすると同時に自分の生命の一部を相手に分ち、象徴的に死者の蘇生をはかろうとするものである。Yeatsがそのようなテーマに引かれたのは、「血」を媒介とした死と再生のドラマが、神話や伝説の上だけでなく、自分の身辺=不穏なアイルランドにおいても繰り広げられていると認識したからではないだろうか。現代の吸血鬼像を創造したといわれるブラム・ストーカー(『ドラキュラ』)や彼にインスピレーションを与えたジョセフ・シェリダン・レ・ファニュ(『吸血鬼カーミラ』)共にアングロ・アイリッシュだったのも偶然とは思えない。Yeatsが「血」というとき、それは多くの場合、英語を母語とするアングロ・アイリッシュの血を指しており、その血を絶やしたくない想いが、吸血鬼的イメージに溢れた作品にとりわけ強く感じられる様子を考察した。 |
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